DINKSから見た「生産性」問題

「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。」
arimayoco 2021.05.02
誰でも

(この記事は、2018/11/15にnoteに掲載した記事の転載です)

日に日に寒さの増す今日この頃、めっちゃ今さらなんですけど、「新潮45」杉田水脈論文の話がしたい。いや、あれ炎上したの夏じゃん。そうなんですけど、この数か月ずーーっとモヤモヤ考えて、考えて、考えた結果、「やっぱり自分はモヤったのだな」と確信が持てた――違う言い方をすれば、自分はモヤったのだ! と認めるのにすら数か月の時間がかかった――ので、いま書きます。

私は子無し共働き、いわゆる「DINKS」というライフスタイルを好んで選んでいます。そして、ときどき、「DINKSってある種の性的マイノリティなのでは?」と思うことがあります。それは「性的」の指す範囲を拡大しすぎなのでは……というツッコミは承知の上で、順を追って説明させてください。

たとえば飲み会などで家族の話題になったとき、「好んで子無しでいる」という旨を話すと、返ってくる一番多い誤解が「子ども嫌いなんですか?」というもの。どうも世の多くの人は、「ヘテロ性愛」と「子どもほしい欲」は「普通はセット」で、「異性愛者だけど子どもほしくない人」=「子どもが嫌いな人」と判断するようなのです。これって「恋愛感情」と「性的欲求」は「普通はセット」と判断されて困るノンセクシャルの人と、ちょっと状況が似ているなーと思います。

私も夫も、「子どもほしい気持ちがない」だけで、「子どもほしくない気持ちがある」わけではないんですが、その差分を説明するのはすごく難しい。人によっては「子どもほしくないなら、何で結婚したの?」という斜め上(私から見ると)な見解を繰り出される方もおり、非常にびっくりします。「け、結婚って子どもほしい人がすることだったのか!」と、異性愛の範囲内ですらすれ違う結婚解釈に、戸惑いを隠せない夜もあった……。

世の中にオタクと呼ばれる方々がいますよね。まぁ私のことですけど。 推しのイベントがあれば地方に遠征することもあるし、気になったグッズは全部買うし、推しがきっかけで知り合ったお友達がたくさんいます。でも、そんな風に熱心に追いかけていなくても、好きな俳優やミュージシャンがテレビに出ていればチェックし、ドラマを録画し、新曲が出ればYoutubeを聞いて楽しむ、いわゆる「お茶の間のファン」も、世の中たくさんいますよね。私の子どもに対するスタンスは限りなくこの「茶の間」に近くて、街でかわいい子どもを見かければかわいいなーと思うし、友達の子どもと会う機会があれば一緒に遊ぶし、その時間は純粋に楽しいです。ただ、自分の時間やお金の大部分をがっつり子どもに投じたい! という、いわゆる「ガチ勢」ではないだけで。(大丈夫かこの比喩、却ってわかりにくくないか……?)

なので、「夫婦二人で完結した家族」としてわりと毎日楽しく暮らしてるんですけど(そう、多くの人が、推しを追いかけて地方遠征なんかしなくても、べつに楽しく暮らしているように……)、そうすると「今はそうでも、いつかは欲しくなるかもしれないしね」と、何か普通の欲望にまだ目覚めてないだけの人みたいな扱いを受けることが、たまに……いや、結構よくあります。相手にも悪気はないのはわかってるんですが、これって「自分は男性に恋愛感情を持ったことがない」と語って、「まだ本当に好きになれる男性に出会ってないだけ」と返されるレズビアンの女の子と、何が違うんだろう? と、たまに思います。杉田論文の一説を引くと、「それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。」めでたしめでたし。

そのとき、DINKSの夫婦やレズビアンの女の子は「いずれこの人は私と同じ規範の中に戻ってきて、やはり自分は正常であったと『追認』するだろう」という、「期待」をかけられているわけです。(もしかしたら、自分は幸福だと思いながら過ごしている独身者の方々でも、同じような視線に晒されることがあるのかもしれません。)

たとえば私と夫が、ある日突然「やっぱ子どもほしい!」という天啓に打たれて、子ども沼ガチ勢に豹変するかもしれないし、レズビアン自認の女の子はある日突然「本当に好きになれる」男性に出会って、パンセクシャル自認に変わるかもしれません。変わらないかもしれません。でも、そうなったらなったで今の「欲望の自認」が間違っているわけではないし、どちらにせよそれを、他人に云々される謂れはないわけで。その手前の状態にあって、「まだ『追認』を済ませてないだけの、途上の人」として扱われるのは、一体何なんだろう? と思うわけです。

もちろん、「法律婚しているヘテロのカップル」というだけで「少数者」ではないし、もしこの文章を読んで「全然違うよ!」と不快になられる当事者の方がいたら、謝るしかないです。「法律上・生物学上の理由から子どもを持てないカップルと、好きで子無しでいる夫婦では、全然立場違うでしょ」というのもわかります。でも、件の論文が炎上したとき、私は明確に自分たち夫婦を「生産性がないサイドの人間だ、やべぇ」と分類して、うっすらとした不快感と、危機感をおぼえました。杉田論文を「自分の問題」として語りたかったけど、「冗談じゃないよ」って言いたかったけど、でも自分は「性的マイノリティ」じゃないし……と、そのときは勇気が出なくて、特に声を上げることもなく、何となく傍観してしまいました。(最近、仕事である方にインタビューしたのをきっかけに「いややっぱり自分はモヤってたんだな」と気付き、いまこの記事を書いています。)

彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。」という真っ直ぐな、あまりに真っ直ぐな一文を読んで連想するのは、「夫婦二人の家族で十分満たされてるし、毎日幸せ。ここに加えてさらに子どもが必要だと思ったことは、結婚してから一度もない」と話すとたまに返される、あのもどかしいような、困ったような、慈しむような相手の苦笑です。私はその度に、「子どもなしで完璧に満たされているなんて、なんて傲慢なんでしょう」というメッセージを勝手に受け取って、勝手に傷つきます。

私にとっては「ほぼ完璧に幸福な家庭」が、目の前の人にとって「まだ発展途上の未完成のもの」だと痛感するのはわりと冗談抜きに痺れる体験だし、相手の持つ幸福の条件を満たしてない自分が「幸福」を自認していることで憐れまれる度に、マジかよってなります。私がどれだけ声高に自分の幸福を語っても、「普通の人」から「普通の幸福」カウントされないって、それは社会的弱者/少数者なんじゃないの?って、モヤっとします。多分、相手にとっては悪気なく、「夫婦二人でも欠くことなく幸せ」という予想外の展開にちょっとバグって、思わず出ちゃった程度の「苦笑」なんですけど。

その「自分自身の耐え難いナイーブさ」も含めて、この記事を書くのは勇気が要りました。

結論は特にありません。繰り返しになりますが、もしこの文章を読んで不快に思われたLGBTs当事者の方がいたら、ごめんなさい。けど、私にとってもこれは大事なトピックなので、この数か月のモヤりを忘れたくないなぁ……と思って、あともしかしたら、この広いネット界のどこかには、同じように感じたことのあるDINKS夫婦もいるんじゃないかな? という期待を込めて、書き残しておきます。

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